概要
日本の国土は、面積にして7割近くが森林によって占められています。なぜこのような山奥に人が住んでいるのだろう、と思うのは、実は私たちの逆転した誤った見方です。日本では、豊かな森林資源を活かした産業が古くから盛んで、山里ではその産業を担う人々の暮らしが営まれていました。木をふんだんに使った住宅、家具や食卓、箸や器など、多くの建具や調度品、器物が、木材でつくられていました。現在のように、石油や石炭、原発や火力発電に依存しない時代には、燃料は山から伐り出された薪や松葉や下草、そして加工された炭でした。山の資源がなければ、日常の生活も成り立たないような時代、そうした需要を満たす産業が山里にありました。
本プロジェクトは、現在では失われてしまった山里の産業と人々の暮らしの歴史を、南信濃、すなわち下伊那地域を対象とし、歴史学と建築史学のコラボにより行う共同研究です。下伊那地域には、良質な檜などの大木を産出する「木曽山」とは異なり、檜や椹を中心とする「榑木」(くれき、板材)を産出する遠山地域(現、長野県飯田市南信濃・上村)=「伊奈山」がありました。この「伊奈山」は、幕府の直轄林(御林)として、大坂城の木瓦、江戸城天守、駿府城、六郷(多摩川)大橋、日光東照宮の檜皮などを産出し、天竜川を川下げされて、大坂、駿府、江戸へと運ばれました。ところが、「木曽山」にくらべ「伊奈山」の歴史的な研究は進んでおらず、山里の生業と生活、人々が形成した地域社会の在り方は十分には解明されていません。新たな史料の発掘とともに、山里の社会構造の解明に取り組むことが第一の課題です。
加えて、本プロジェクトでは、「伊奈山」と山里の生業と生活の在り方が現れていた景観に着目して研究を行うことに独創性があります。今日の文化的景観には、山里社会の歴史や個性が現れていますし、時代ごとの社会の断面が村絵図や地域の地籍図には表されています。建築史の専門家が歴史資料を使いながら行う景観研究を、文書史料を深く解読して解明する社会構造研究と重ね合わせ、南信濃山里社会を多面的かつ段階的に解明することが、本プロジェクトがめざす研究です。
具体的には、次の3つの研究課題を柱に据えて研究を進めます。
課題A「山里社会の個性の歴史的形成過程」
課題B「山里社会相互の関係構造」
課題C「文化的景観の歴史被拘束性」
ともすれば、「美しい景観」としてイメージされがちな山里の文化的景観は、実は多様な社会集団による生業と生活からなる個性的な歴史によって拘束・規定されるものであり、こうした点を地域史料の発掘と歴史的景観の段階的復元によって検証します。そして、本プロジェクトの成果を地域の人々に還元・共有し、山里社会とその文化的景観を未来に向けて持続するための手がかりを得るために、ともに考える機会をもっていきます。
なお、本研究は、科学研究費補助金基盤研究(A)(一般)「南信濃山里社会の文化的景観とその歴史的形成過程に関する基盤的研究」(課題番号20H00025研究代表・吉田ゆり子、2020~2023年)として行われます。また、本研究は、2014~2019年度基盤研究(B)「日本近世山里社会の存立条件に関する基盤的研究」(研究代表者・吉田ゆり子)の成果と課題を深化・発展させるものです。